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  • 執筆者の写真Ryousuke Akita

なんであんなに球速が伸びたの?

更新日:2020年6月19日

【なんであんなに球速が伸びたの?】

FROM あきたの整体院 琴浦



私は大学まで野球に打ち込みました。

大学は岩手県の富士大。

鳥取から岩手、、、遠い!!


そんな富士大があるのは、

大谷選手や菊池投手も在学した

花巻東高校もある花巻市です。


小学生からずっと野球一筋の私は

この大学時代に大幅に球速が伸びることとなります。


今回はなぜ実現できたかを

15年以上前のことになりますが、

思い出しながら考察していきたいと思います。


まず高校時代にどの程度の球速を

誇っていたかというと、、、


オーバースロー 115キロ位 (1年生時)

アンダースロー 110キロ前半 (3年生時)


そう、オーバースローでパッとせず、

高校の途中よりアンダースローになったんです!


3年生の時にオーバースローで

投げていたとしてもおそらく

120キロ程度だったでしょう。


まぁ、球速が全てではないのですが

はっきり言って特別強肩ではなかったです(笑)


そんな私は大学3年生時には、

アンダースローで130キロ位を計測していました。



かなり球速が伸びたんです!


もちろん、

トレーニングにより筋力や体重も

増えていた事は要因の一つだと思います。


高校入学時 

55キロ

大学入学時

62キロ

大学4年生

75キロ

現在(35歳)

62キロ


しかしながら、

それにしても高校時代と比べても

大学時代の大きな球速の伸びは

自分自身も実感できるレベル

だったのは間違いありません。


そんな大学時代に私が

練習において重要視していたのは、

一般的に行われている重い負荷を

かけるウエイトトレーニングではなく、

可動域を広げていくトレーニングでした。


実は高校時代に引退後、

イチロー選手や山本昌選手などが

トレーニングを行ったことで有名な

鳥取市にあるワールドウィングに行き、

合宿をしたことがありました。


そこでのトレーニングや勉強会を通じ、

可動域の重要性を知り、

そして効果を体感していたのでした。


当時、大学野球部のトレーニング方針に

そういった考えは一切なかったですが、

独自に可動域を広げていくための

トレーニングを行っていました。


そんな私のやっていた珍しいトレーニングは

他の選手から見れば、、、

「意味あんの??」

って感じだったでしょう。


ですが間違いなく

パフォーマンスは上がっていきました。


しかし、、、

今から思うと体の使い方が悪すぎました。


これまでお伝えしてきたとおり、

私はひどい腰痛がありました。


それに加えこの頃ヒザの痛みがひどく、

痛みに耐えかね投手を断念。


結局在学中に大会で投げたと言えば

新人戦の決勝戦位でした。

実力が足らなかったのが一番ですが(笑)



3年生の途中に投手から

外野手へ転向することとなったわけですが、

そこで野手として上から投げてみてビックリ!

とても伸びのある強い送球が出来たのです。


なので秋田は肩が強いというイメージを

持っているチームメイトも多いはずです。


一つ歳が上でプロに行った

150キロ右腕の相原さんの

遠投相手もよくしていました。


さすがに相原さんには負けますが、

そこそこキャッチボール相手になれたんです!


話はそれてしまいましたが、

そんな可動域を重要視している私ですが、

先日、新聞のスポーツ欄で興味深い記事を発見しました、、、


長くなりましたので

その注目の記事については、

次回お伝えしたいと思います。


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PS


もうすぐ、

陸上の記録会本番です。


先月のマスターズ陸上から

どの程度記録が伸びるか楽しみです。


また、皆さんに結果を報告したいと思います。


もうすぐ35歳!


だけど今が青春。

まだまだチャレンジし続けます★

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